忠臣蔵の基となった赤穂浪士事件で有名な赤穂藩。赤穂浪士ゆかりの場所がたくさん残る赤穂城跡に行ってきました。
三之丸
大手隅櫓
駅方面から歩いていくと最初に目に入ってくる櫓。昭和に入って再建されたものです。
三之丸大手門
この門から城内に入ります。これも再建されたもの。ちなみにこの門の前には討ち入り装束の赤穂義士に扮したボランティアグループ「撮らんか~れAKO」の方たちがいて、一緒に写真を撮ってもらえます。
そういうのが好きな人はいいんですが、そうじゃない人は門番のように待ち構え、入ろうとすると扮装して「写真撮りませんか?」と声をかけてくる集団はちょっと怖いかも。行く手を遮られているようにすら感じて、通り抜けるのを躊躇してしまいます。こちらから声をかけるシステムにすればいいのにと思ってしまいますが、そうすると観光客側が恥ずかしがってあまり声をかけないんでしょうね。色々難しいです。
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石垣と石垣が直角に交わる所って普通は角ばっていますが、ここは曲面になっていました。珍しい気がします。
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近藤源八宅跡長屋門
江戸時代後期の建造物である長屋門の一部。近藤源八は大石内蔵助とは縁戚に関係にありましたが、討ち入りには加わっていません。この長屋には下級武士が住んでいました。入場無料。
靴を脱いで上がることができます。長屋と聞いて想像していたよりも、実際は広いです。
家具や小道具も展示されていて、当時の様子を忍ばせます。
簀子野地天井(すのこのじてんじょう)は当時のままだそうです。
全体的に開放感があって冬は寒そうです。
赤穂は「江戸三大上水道」の一つ、「赤穂藩上水」が整備されていました。この長屋でも、土間の前のこの汲み出し枡まで給水されています。
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いい感じに剥落した塀。
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大石邸長屋門
江戸時代から残る大石内蔵助の一家三代が暮らした屋敷の正門長屋門。国指定史跡。江戸の主君の刃傷事件を伝えるために、早かごで到着した萱野三平らが叩いた門がこれということになります。
屋根瓦をよく見ると大石家の家紋「二つ巴」がついています。こちら側からは外観の見学しかできませんが、大石神社側から門の向こう側の庭園などの見学ができます(有料)。
赤穂大石神社
大石内蔵助、片岡源五右衛門らの屋敷跡に創建された、赤穂浪士47人他を祀った神社。江戸時代、赤穂義士達は幕府的には犯罪者だったので、彼らの名誉が回復された明治時代になってからの創建です。広めの無料駐車場あり。
まず驚くのが参道の両脇に並ぶ等身大サイズの四十七義士の石像。かなり圧巻。
中国の兵馬俑かよって思ってたらその通りで、兵馬俑の工芸技術伝承者によって作製されたそうです。ちなみに討ち入り時の表門隊と裏門隊で左右に分かれています。
途中、堀部安兵衛なんかもいて…
表門隊の先頭には大石内蔵助がいます。正直、義士たちの顔が似ているかどうかなんてわからないので、それぞれの造形については面白みを感じません。どうせわからないのだから、戦国武将をアニメキャラ風にするみたいに、思い切ってデフォルメするといいのかもしれません。案外、仏像もそんな感じで出来たものなのかもしれませんね。
神門を通り抜けてすぐ両脇に恵比寿様と…
大黒様。こちらも2メートルぐらいある巨大なもの。お参り撫でることでご利益があるそうです。
境内にある「義士宝物殿」「義士宝物殿別館」「義士木造奉安殿」「大石邸長屋門庭園」へは、4ヶ所共通拝観券(大人 450円、小人 無料)が必要ですが、それ以外の参拝などのための入場は無料です。
元禄うどんや、義士だんごなどが食べられる元禄茶屋。塩味饅頭「志ほ万」等のお土産も販売しています。
大石内蔵助像の隣りにあるのは、田中角栄の書による「義士発祥之地」の石碑。
参道には東郷平八郎の書による「忠魂」「義膽(ぎたん)」の2本の石柱が立っています。
たくさん奉納された絵馬。大願成就のご利益があるとされています。
その他、十二支の石像など色々あって、全て丁寧に見ていくとご利益の大盤振る舞いでお腹いっぱい感があります。潤っているようで何よりです。
清水門跡と赤穂市立歴史博物館
城の東側にある清水門跡と堀の向こうにある赤穂市立歴史博物館。博物館はここに米蔵があったことから、それを模した建物になっています。堀の水面にも白壁の土蔵風建物が映り、なかなか絵になります。入館料は大人200円、小人100円。無料駐車場あり。
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このあたりの石垣は新しそうです。まだいろいろと復元・整備を行っているのかもしれません。
堀は二之丸門跡近くまで続いています。
武家屋敷公園
昭和になって復元整備が行われた武家屋敷門と土塀。門の向うは当時の景観を再現した公園になっています。屋敷は間取りのみ復元されています。
その2に続きます。