上記の続きです。
二之丸
二之丸門跡
この門跡に置かれている2つの平たい石は、小石で叩くと「かんかん」という音を立てることから「かんかん石」と呼ばれています。確かに小石で叩くと「かんかん」と音をたてました。で?って気がしないでもないですが。
山鹿素行銅像
山鹿素行は会津生まれの江戸時代前期を代表する儒学者、軍学者。赤穂藩に仕え、赤穂城の二之丸虎口の縄張りを一部変更したり、兵法を指南しました。その後赤穂藩を辞するのですが、著書で官学の朱子学を批判して幕府の怒りを買って、赤穂藩お預けになっています。
大石内蔵助や幕末の吉田松陰に影響を与えたとされています。
大石頼母助屋敷門(おおいしたのものすけやしきもん)
大石内蔵助の大叔父にあたる藩家老、大石頼母助良重(よししげ)の屋敷門と土塀。
これらは平成になってから復元されました。屋敷自体は復元されておらず、そのまま二之丸庭園へつながっています。塀の長さが屋敷の大きさを物語っています。
二之丸庭園
大石頼母助屋敷門からも入れますが、屋敷門の塀とつながっているこちらの門が二之丸庭園表門になります。
門をくぐるとそこには広大な芝生が広がっています。奥の方に東屋や池らしきものも見えます。平成になってから調査・整備が進められ、現在も整備中とのこと。
このあたりから城の広さに心が折れそうになっていて、庭園の奥の方まで歩く気力もなく、入り口付近で中の様子を確認し、言い訳のように「よし」とつぶやいてから庭園をあとにしました。
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ようやく本丸が見えてきました。城攻めって大変だなって実感します。
何故かジャスコのプランター兼車止め。
本丸
本丸の表玄関となる本丸門前。見応えのある威容を誇っています。
石垣や堀も立派です。
本丸門
高麗門と櫓門の2門で構成される本丸門は、調査結果や当時の資料を元に平成に入って復元されたもの。
二之門(高麗門)
門の前の竹のオブジェや中の提灯のようなものは、ライトアップイベント用のもののようです。
ニノ門を入ると目の前は壁で、四方に狭間が並んでいます。ここで攻撃されたら助かる気がしません。城攻めって大変だなって実感します。
一ノ門(櫓門)
こちらは重厚感のある櫓門。櫓門二階には展示室があり、特定の日のみ観覧できるそうです。
本丸御殿跡
竹のオブジェに迎えられる本丸内。本丸御殿はありませんが、御殿の間取りが復元されています。
「上之間」「台所」「茶部屋」など、間取りに従ってそれぞれの場所が掲示してあり、想像しながら歩くとなかなか面白いです。奥に見えるのは「天主台」です。
厩口門(うまやぐちもん)(台所門)
本丸の東側にある門。ちなみに廃城後、本丸には赤穂高校が建てられ、この門は通用門として使われていそうです。
天主台
天主台に上ってみます。段差が大きい階段でかなり登りづらいです。
ちなみに天主台はありますが、天守閣が建てられたことはないそうです。これは驚きました。最近再放送されている三船敏郎主演の民放の大河ドラマと言われた「大忠臣蔵」では、オープニングに天守閣が登場するし、天守閣に関するエピソードも結構あったので、当然あるものだと思っていました。やりがちですが時代劇や小説のフィクションを、史実だと思いこんでしまうのは危険ですね。気をつけたいです。
さすがに天主台からの眺めは良いです。本丸御殿の間取りも一望でき、でかいのが良くわかります。
天主台からは本丸の四箇所の櫓台を見ることができます。ただ、実際に櫓が築かれたのは一箇所のみで、その他は櫓ではなく横矢掛かりの一種「横矢枡形(よこやますがた)」というものになっていたそうです。
大池泉(だいちせん)
本丸庭園のひとつ、大池泉。こちらも天主台からよく見渡せます。間取り復元の際に、この庭園も復元、整備されたそうです。
まとめ
本丸、二之丸、三之丸までおおよそ残っているっていうのは珍しいんじゃないでしょうか。しかも、石垣や櫓や庭園等を次々復元・整備していっているのがすごいです。もしかして赤穂市は密かに城を再軍備して、何か企んでいるんじゃないかと疑うレベルです。
だけど、そのおかげで他ではあまりイメージ出来ない、城郭としての全体像が見えてきたような気がしました。今後はどんな予定をしているのかわからないですが、どんどん復元していってもらいたいところです。
面白かったのですが、かなり広大な敷地で正直疲れました。広いぞ、かなり歩くことになるぞ、といった心の準備を事前にちゃんとしておくことをおすすめします。敷地内にいくつかある駐車場をうまく使うのも手かもしれません。
とりあえず、城跡と聞くとナメてかかる癖を直したいです。