きび六

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ほぼ当時の姿のまま!筑前黒田家専用の【神辺本陣】@福山

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広島県福山市のかつての宿場町・神辺(かんなべ)宿にある神辺本陣に行って来ました。

 

場所はJR福塩線・井原鉄道の神辺駅の近く。徒歩10分ほどの場所です。

 

 

神辺は西国街道(近世山陽道)の宿場町で、井原市の備中高屋宿と福山市の備後今津宿の間にありました。

 

本門

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こちらが本門。黒塗りの土塀のかすれ具合が歴史を感じさせます。

 

この黒壁の左手に駐車場。駐車場入り口にガイド待機所があるのでそこで声をかけて、案内に従って車を停めます。2,3台ほどの駐車スペース。

 

そのままガイドの方が本門の扉を開け、敷地内の説明と案内をしてくれます。

 

玄関

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門をくぐると正面に玄関。ここでお殿様が駕籠から降りてそのまま建物内に入ったそうです。

 

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庭には梅が少し咲いていました。

 

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ここは筑前黒田家専用の本陣だったそうで、瓦には黒田家の家紋「藤巴」が入っています。

 

じゃあ黒田家以外はどうしていたのかというと、東側にあったもう一つの本陣、東本陣を使っていたそうです。こちらは解体されて現在はもう残っていません。ちなみにこちらの黒田家専用の本陣は西本陣と呼ばれていました。

 

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この母屋は1746年に建築され、ほぼ当時の姿のまま。よく見ると屋根のひさしが重力で歪んでしまっています。何かの拍子で崩れ落ちてしまうんじゃないかとちょっと怖い。

 

番所・内蔵(うちくら)

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右手には番所と内蔵。

 

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こちらが見取り図。この家は酒造業を営んでいたそうですが、現在は右側の酒造関係施設や住宅部は取り壊されています。

 

二の間・御成の間

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建物の中には入れず、外側からの見学のみ可能となっています。残念ですが、ほとんど手を加えられていないそうなので、多くの人が建物の中に入ると不具合が生じてしまうのかもしれません。

 

玄関左の内土塀の小門をくぐって、お殿様が休む二の間、御成の間へ。

 

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明治以降に付けられたガラス戸の向こうが二の間で、その奥が御成の間です。

 

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ガラス戸が反射して中の様子がよく分かりませんが、近づいて手をかざしてよく見てみると、欄間やふすまなどが立派です。殿様が休む場所だけのことはあります。

 

もうちょっと中の様子をちゃんと見たかったですが、時間帯によってはいい感じの光の具合でよく見えるのかもしれません。

 

建物左側は通行止めになっていて、見られるのはここまで。

 

札の間

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玄関に戻り、今度は右側の札の間へ。こちらは開け放たれていて中の様子が良く分かります。

 

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ここには、この本陣で休んだり泊まったりした大名の関札(せきふだ)がたくさん掛けられています。

 

よく旅館とかで玄関に掲示される「本日のご宿泊 ○○様」みたいなやつですね。ただ、これは本陣が用意するのではなく、大名が用意するので「様」のような敬称はつけられていません。「宿札(やどふだ)」ともいうようです。

 

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一番右側にある新し目の「松平下野守室宿」と書かれた関札は、福岡藩主12代黒田長知(ながとも)の正室が宿泊する事を示していて、「室」という奥さんを表す言葉を使った関札が残っているのは非常に珍しいとの事。他には長野県の下諏訪宿で見られるくらいらしいです。

 

そもそも江戸時代は女性が行ったり来たりすることはそんなになかったので、確かに珍しそうです。

 

内蔵

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札の間の後ろは内蔵。斜めのナマコ壁がなんかいいです。昔は母屋とつながっていたそうなので、屋根がこんな感じで付いていたのかもしれません。殿様が乗っていた籠をここにしまっていたそうです。

 

表土塀

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内部の見学はこれで終了。ガイドさんにお礼を言って外に出ます。ただ見るだけでは分からないことが色々分かり、面白かったです。

 

大戸門

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本門の右側には大手門。こちらが通常の住宅部の入り口だったという事だと思います。しかし、屋根瓦や壁など全体的に歴史的建造物感が凄い。ここだけ時代が違うかのようです。

 

酒造関係施設跡

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こちらは敷地の西側。ブロック塀になっていますが、元々は酒蔵などの酒造関係施設があった場所で、現在は取り壊されてしまっています。その奥に見える建物もかなり立派で、歴史を感じます。

 

西本陣周辺

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この神辺の宿場町は、普通の民家もたくさんあって古い町並みが全体的に残っているというわけではないですが、本陣周辺は割と古い建物が残っていて、見ごたえがあります。

 

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側面のなまこ壁がすごいですが、隣にはどんな風に建物が建っていたのか気になります。そして電柱は木製。

 

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こちらは時代が違いますが、石造りの建物。もともと銀行だったんでしょうか。こっちはこっちで渋いです。

 

桝形

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本陣から通りを東に少し散策。途中で道がクランク状に曲がっていて、桝形(ますがた)というらしいです。割と交通は激し目です。

 

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昭和を感じる看板。

 

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さらに先に行けば、神辺宿のもう一つの見どころ、国の特別史跡「廉塾(れんじゅく)」があります。

 

廉塾は儒学者の菅茶山(かんちゃざん)によって開かれた私塾で、頼山陽などを輩出しています。今回は訪れていませんが、菅茶山旧宅と合わせてガイドさんの案内で見学ができるようです。

 

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桝形から宿場町を外れて南に向かう道の先には鳥居が。「天別豊姫神社(あまわけとよひめじんじゃ)」だそうです。

 

神辺本陣(かんなべほんじん)

住所:広島県福山市神辺町 527

時間:10:00~16:00(土日祝)

*平日、団体は1週間前までに要予約

定休日:お盆/年末年始

料金:無料(団体は有料)

駐車場あり

 

 

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