きび六

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忠臣蔵の赤穂義士たちが眠る【花岳寺】@赤穂市

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赤穂藩歴代藩主の菩提寺で、大石内蔵助の祖先の墓など赤穂義士に関係するものも多数残っている兵庫県赤穂市の「花岳寺(かがくじ)」に行ってきました。だいたい播州赤穂駅と赤穂城跡の中間地点にあります。

 

ちなみに忠臣蔵で登場する東京の泉岳寺は、赤穂藩江戸詰のための菩提寺です。

 

 

山門

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この山門は、明治維新後に解体された赤穂城の塩屋総門が移築されたもので、市文化財に指定されています。

 

花岳時の駐車場は山門から境内に入った左手にあります。この山門を車で通り抜けるときはちょっとドキドキするので、不安な人は観光駐車場に停めたほうがいいかもしれません。境内の駐車スペースは6台分程でそれほど広くありません。

 

水琴窟

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手水鉢の隣には小さな大石内蔵助がしゃがむ水琴窟があります。

 

鳴らずの鐘

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赤穂浪士の討ち入り・自刃の報を聞いた町民たちが、この鐘を撞きまくったために鳴らなくなってしまったという「鳴らずの鐘」。「義士との由緒深きにより」戦時中の金属供出の際にも、供出を免れたそうです。

 

二代目大石名残の松

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本堂の手前にあるのが2代目大石名残の松。大石内蔵助が赤穂立退きの時に先祖の墓を詣で、そしてこの松を見て名残を惜しみつつ旅立ったそうです。

 

千手堂・初代名残の松の幹

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先程見た松が2代目ということは初代がいたはずで、これがその初代大石名残の松の幹。千手堂(休憩所)にあります。2本あったそうですが、昭和の初めに同時に枯れてしまったそうです。かなり幹が太く、相当デカかったことが窺い知れます。

 

本堂

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立派な本堂。

 

「竹に虎」

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本堂で天井を見上げると一面に大きな絵画が。赤穂の画人、法橋義信(ほっきょうよしのぶ)による「竹に虎」。迫力があります。

 

賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)

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本堂の片隅に座するのが賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)。

 

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撫で仏として撫でられまくって、逆に撫でづらい容貌になっています。

 

浅野家霊廟/大高源五の句碑

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ここからは拝観料が必要なエリア。本堂横の受付で拝観料を納めます。(大人400円/高校・大学生200円/子供無料)

 

正面が霊廟で、その隣りにあるのは赤穂義士の一人で、俳人でもあった大高源五(忠雄)の句碑。刻まれた文字は大高源五の自筆を拡大したものだそうです。

 

忠義塚/不忠柳

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忠義塚の向こうに見えるのが義士の墓所。右側に見える木は、討ち入りに参加しなかった赤穂藩家老の大野九郎兵衛の邸宅から移植した柳であることから、「不忠柳」と言われているそうです。ただし初代は枯れてしまったみたいで、この柳は2代目です。

 

忠義を果たさなかった人を晒すのは、ちょっと性格悪い感じがしちゃいます。これを見せられて、同調圧力に負けてしまう人がいるかもしれませんね。ちなみに義士墓所の左側には、大石内蔵助宅にあったという忠義桜があります。称えるだけで良いと思うんですが。

 

義士墓所

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赤穂義士の墓と言えば東京の「泉岳寺」ですが、義士の37回忌の際にこの場所にも墓所が建てられたそうです。

 

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中央が浅野内匠頭、左右に大石内蔵助・主税親子、そして取り囲むように義士たちの墓が並んでいます。

 

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墓所には遺髪が納められていると伝えられている事等が、音声テープで説明されています。

 

義士宝物館

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浅野家や義士関連の資料が納められた宝物館。館内撮影禁止。

 

いろいろな資料が展示されていますが、大石内蔵助が備中高梁にいた頃の直筆の資料がなかなか興味深かったです。水谷氏からの備中高梁城受け取りの任に当たった内蔵助は、その後次の藩主安藤氏が入城するまでの1年半の間、城の管理のため高梁に滞在したそうです。城の受け取りと明け渡しを経験するなんて運命的なものを感じます。

 

鳳源寺より株分けのしだれ桜

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浅野内匠頭と三次城主浅野長治の息女阿久里姫との婚儀の際に、三次を訪れた大石内蔵助が、姫の菩提所である鳳源寺の庭に植樹した枝垂桜。 友好のしるしとして三次市からその桜の苗木を送られたそうです。

 

中国(北魏)観音像

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西暦500年頃に中国の魏で作られたとされる石仏。がっちりガラスケースで保護されていて、貴重なものだということが良くわかります。

 

義士木像堂

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赤穂義士たちの木像が展示されています。うっかり写真を撮ってしまいそうになりますが、ここも館内撮影禁止。やっぱりいつの時代もヒーローの偶像、フィギュアが欲しい層が一定の人数いるんでしょうか。ここの義士像はかなり古いので、これ自体も価値があるようです。

 

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そして入口正面には大石家の守り本尊「千手観音」が安置されています。わずか6センチほどの大きさで、大石内蔵助は吉良邸討ち入りの際にも身に着けていたと言われているものです。

 

大石家先祖墓

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赤穂義士を称えるエリアの奥は本格的な墓地になっています。こちらは大石家の墓。その隣には他の義士の家族の墓もあります。

 

浅野家三代の墓

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赤穂藩浅野家の初代藩主 長直、2代藩主 長友、そして長直の父、笠間藩主 長重の墓があります。藩主の墓だけあって立派です。

 

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その他にもたくさん墓石が並んでいます。こちらは変わった形の墓石です。中央の異常に根本が膨らんだ大木。何の栄養を吸い取ってんだ?と、いらぬ想像をしてしまいます。

 

このあたりからお墓の写真ばかり撮ってて大丈夫なのか?何か映ってはいけないものが映っていたりしないか?と一抹の不安が芽生えてきました。

 

森家の墓

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こちらは明治維新まで赤穂藩を治めた森家の墓所。

 

 花岳寺(かがくじ)

住所:兵庫県赤穂市加里屋1992番地

拝観時間:午前9時~午後4時

駐車場あり

 

*拝観料(義士墓所・義士宝物館・義士木像堂)

大人:400円

高校生・大学生:200円 *学生証提示 

子供:無料

*その他境内は無料

 

 

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